2009年01月09日

ありがとうとは言われません。

今年のお正月は、
がめ煮(博多のおせち)作って、
お雑煮も作って、
初詣行って、
お櫛田さんの焼き餅も食べて
(↑これはいつものお櫛田さん参りと同じか・笑)
テレビ見て、と、

なんか、お正月らしいお正月を過ごしましてん。




で、
毎年恒例の、
さんまちゃんと玉緒さんの
“あんたの夢を叶えたろか”も、見ました。



みんな、なんかとっても可愛くて素敵な夢見てるよね。

メイク・ア・ウィッシュ☆
こういう企画、大好き。



まー、感動する話はいくつもあったのですが、

ちょっとシェアしたいものが一つあったので、
今日はそれを書きますね。





石垣島在住の高校生(男の子)が看護士になりたい☆という夢。


それも特に老人看護。

以前、何かでお年寄りと接したことがあり、
その時、手をつないだおばあちゃんから
“ありがとう”と言われて、大感激☆

それがきっかけで看護の道を選んだ。

“ありがとう”と言われる仕事がしたい。

ゆくゆくは、石垣島のお年寄りの役に立ちたいらしい。




春から大阪で看護学校に行くことは決まっているものの、
現場での看護は、まず勉強をしてから…

…というのが順序。


だけど、早く現場に立ちたい。


そんな思いを叶える企画。






沖縄の浦添の病院が、名乗りをあげてくださった。



扱いは、通常の看護見習いと同じ形での受け入れ。





かくして、彼はいち早く看護士体験をするのだが★




やりたいと望んでいた老人看護では、

患者が望んでない食事介助を行おうとして、
余計な介助はいらないといわれ、

一生懸命、会話をしようと話しかけたおばあちゃんにも
相手にされず、

救急看護では、
何の手伝いも出来ず、ただじっと立ったまま。

希望した手術の見学も10分でギブアップ。



…すっかり自信をなくした彼。






看護士になって、“ありがとう”と言われる仕事がしたい。。。





そんな彼に、救急看護をしている看護士がこう言った。


“それは無理かもしれないね。”



“なにしろ、自分たちがやっている救急看護は、
意識がもうろうとしていたり、
具合が悪かったりしている患者さんばかりだから、
ありがとう。なんて看護士に言える状態じゃないし、
実際、ありがとうと言われることは、ほとんどないよ。”




ありがとう。といわれるから、ではなく、
自分たちの仕事は、
患者さんにとって、できることを淡々と精一杯やる。

そんな言葉を言った気もするが、
もしかしたら、そんなニュアンスを含めただけかもしれないけど、


見ている私には、そう受け取れた。





その翌日から、彼(高校生)が変わった。



自分にできることはないか?

常にそれを考えて行動しはじめた。



そして、前回、食事介助を断られた、
リハビリ中の患者さんの介助でも。


リハビリ中、ちょっと引きずっていた右足を、
リハビリが終わって、
その右足をマッサージし始めた。



すると、その方がこう言った。
“あんた、よく気が利くねぇ、ありがとう”




そして、前回、会話できなかったおばあちゃんにも。

おばあちゃんの好きな話題を看護士さんから聞き、
おばあちゃんの大好きだという歌を、
歌いながら介助したら、
笑顔で喜んでくれた。







“ありがとう”と言われる仕事がしたい。


それが“目的”である時、








ありがとうと感謝される人間になって、
自分の存在を証明したい。というシタゴコロがある。




それは、
自分の価値を他人に感謝されることで満たそうとする
エゴからくる行為。



その気持ちは、エゴから派生している。







だから、人のために何かをしても、

感謝されなかったり、

無視されると、


自分に自信を失くしたり、凹んだり、
自分は価値のない人間だと、自分をおとしめる。





ありがとう。と言われる。
人に役立つ自分になる。


表向きはとても美しく聞こえるが、

それは本当に相手に対する思いやりからなのではない。



ありかとう。と言われたい。
人の役に立っている自分。

そんな自分の欲求を満たそうとしているシタゴコロ。




だから、結果的に、
おしつけがましかったり、
迷惑がられてしまう。





…そりゃそうだよね。




自分の価値を認めたいがために、
人に尽くしてるんだから、
相手を心から思っているのではないんだもの。





高校生の男の子は、それに気付き、
自分ができることを精一杯やり始めたから、

自分の価値を認めたい。というシタゴコロではなく、
相手のことを本気で看るようになったから、

相手が何をして欲しいのか?
それが汲み取れるようになり、

その結果、
感謝されたり、相手から喜ばれたのだ。










もし、


誰かの役に立とうとしている人で、




相手からありがとうと言われなかったり、

何の反応もなかったりと、

思うような反応がなくて、


自分に自信を失くしたり、
凹んでしまう人、




もしかしたら、



それは相手のため、ではなく、




自分の価値を認めたいがためにしている行為ではないですか?

無価値感を癒すために人に尽くしていませんか?








ありがとうと言われても、言われなくても、

感謝されても、されなくても、


自分が相手にしたい。と思ったこと、
それを誠心誠意行う。




それだけ。






ありがとう。と言われるのは、
目的ではない。




人の役に立つ。のも、
目的ではない。



あくまで結果。


それは、
してもらった相手が選択したり、
感じることの結果だと、





この企画を見ながらあらためて感じたのですが、



あなたはどうですか?



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