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2010/1/24(日)東京 あと1名☆どうする?2010 計画&行動実践マップ講座
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2/14(日)東京 ひさびさ開催☆大人のお茶会in東京(新月バレンタインお茶会)
ハッピーサプライズを演出してジュエリーを贈りたい男性へ
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2009年02月08日
犠牲と与えるの違いについて。鶴の恩返しから発展系
はいは~い、
立春過ぎると、早春の匂いがして、
つい、クンクンしたくなる
Jewelry Therapyst マキでっす☆
そんな私の最近のマイブームは“きなこオ・レ”
温めたミルクにきなこと砂糖を入れて飲んでます。
ま、それはおいといて、
なんか、先日、
犠牲と与えるの違いについて書き始めたら、
イキナリ途中で鶴の恩返しが出てきて、
そのまま放置プレイしてた私。
地味~に待ってたアナタ、
ごめんなさいね~★
ところでさ、鶴の恩返しって、
鶴を助けたのは、じいさまとばあさま?
それとも若者だっけ?
あれ?
なんか、夕鶴と鶴の恩返しが、
ごっちゃに脳の引き出しに入ってマス。
ま、とり急ぎ、
助けてもらった鶴が、
なにがしかに恩返しする。という話じゃった。
…という、スゴい概要しか、記憶に残っとらんのじゃよ。
許してケロッ。
またまた前置きが長くなって
かんじんな続きを忘れるとこじゃった。
すまんすまん。
●前回のおさらい
『犠牲』のパターンを持っている人が、
まず『人に与えよう』とすると、
当たり前の話、
自分の身を削って、『犠牲』になっちゃう。
そう、『与える』のではなく『尽くす』ことになっちゃうのよ。
『尽くす』から『尽きる』
自分の色んなものが『尽きて』なくなっちゃうことになるのだ★
…ということで、
鶴の恩返しをちょいとアレンジして、
いくつかのパターンが派生したのだけど、
鶴の話からぶっ飛びます。
キーーーーーーーン・・・・
『犠牲』のパターンを持っている人が、
まず『人に与えよう』とすると、
自分の身を削って、『犠牲』になっちゃう。
↑
でさ、
これって、自分で、自分が“犠牲”のパターン持ってる。
…とか、自覚がほとんどないのよん。
自覚があれば、
気付いたときに立ち止まって、
そうでない方向へと修正したらええんどす。
それでいいんどす。
『犠牲』のパターンを持っている人が、
まず『人に与えよう』とすると、
自分の身を削って、『犠牲』になっちゃう。
↑
これをやってると、たいてい自分が苦しくなります。
尽くしてるから、尽きてきちゃうのだ。
でもね、でもね、
犠牲になっている人は、
犠牲になりたくて犠牲になっているの。
辛い自分を選択しているの。
それは、無価値感かるくる、
罪悪感だったり、するんだけど、
犠牲になる。ということで、
その罪悪感の免罪符を自分に与えようとたり、
犠牲になって人の役に立っていると
思い込むことで無価値感を補おうとしたりしているの。
なんてイタイケな私。
犠牲になっている私って、悲劇のヒロインみたくてス・テ・キ。
↑
と、ここまで思っているかどうかは抜きにして、
ぶっちゃけ、感心のベクトルが“自分”にあるのだ。
自分にベクトルが向いてるから、
相手が本当に求めていることより、
自分が相手にしたいと思うことを相手にしようとする。
…で、見返りをひそかに狙っている。
私、こんなにあなたに尽くしているのに★プンプン★
↑
…と思うなら、それは与えているのではなく、
見返りを求めて相手に尽くしているのだよ。
いや、
そこまで思ってなくても、
相手が自分の期待通りのリアクションがないと、
むなしくなるのも、同じ。
私って与え好きなの♪
というのも、ちょいとニオう。
与え好き♪という自分が好きなのであって、
本当に相手にとって良いことかどうかは二の次。
でもって、本当に与えているときは、
だいたい“与えている”という認識がほとんどない。
そもそも、与える→受け取る のではない。
与えた側には、無理がないので、
あら、なんか分からないけど、
私、何もしてないけど、
勝手に喜んで帰っちゃった程度だったり、
むしろ、こんなに受け取っていいのかしらん。
…と思うくらいのものなのだ。
なにせ、
受け取る人は、どんなものからでも受け取ることができる。
道に生えた雑草からでも、
ただ空が青く広がっているだけでも、
なにげない一言や、仕草でも。
で、そうやって、何でもないことから学び、
成長し、精一杯生きていれば、
自分の限界に、自分のすべてを賭けていく
トップアスリートのように、
もう、それだけで“与えて”いるのだと思うな。
立春過ぎると、早春の匂いがして、
つい、クンクンしたくなる
Jewelry Therapyst マキでっす☆
そんな私の最近のマイブームは“きなこオ・レ”
温めたミルクにきなこと砂糖を入れて飲んでます。
ま、それはおいといて、
なんか、先日、
犠牲と与えるの違いについて書き始めたら、
イキナリ途中で鶴の恩返しが出てきて、
そのまま放置プレイしてた私。
地味~に待ってたアナタ、
ごめんなさいね~★
ところでさ、鶴の恩返しって、
鶴を助けたのは、じいさまとばあさま?
それとも若者だっけ?
あれ?
なんか、夕鶴と鶴の恩返しが、
ごっちゃに脳の引き出しに入ってマス。
ま、とり急ぎ、
助けてもらった鶴が、
なにがしかに恩返しする。という話じゃった。
…という、スゴい概要しか、記憶に残っとらんのじゃよ。
許してケロッ。
またまた前置きが長くなって
かんじんな続きを忘れるとこじゃった。
すまんすまん。
●前回のおさらい
『犠牲』のパターンを持っている人が、
まず『人に与えよう』とすると、
当たり前の話、
自分の身を削って、『犠牲』になっちゃう。
そう、『与える』のではなく『尽くす』ことになっちゃうのよ。
『尽くす』から『尽きる』
自分の色んなものが『尽きて』なくなっちゃうことになるのだ★
…ということで、
鶴の恩返しをちょいとアレンジして、
いくつかのパターンが派生したのだけど、
鶴の話からぶっ飛びます。
キーーーーーーーン・・・・
『犠牲』のパターンを持っている人が、
まず『人に与えよう』とすると、
自分の身を削って、『犠牲』になっちゃう。
↑
でさ、
これって、自分で、自分が“犠牲”のパターン持ってる。
…とか、自覚がほとんどないのよん。
自覚があれば、
気付いたときに立ち止まって、
そうでない方向へと修正したらええんどす。
それでいいんどす。
『犠牲』のパターンを持っている人が、
まず『人に与えよう』とすると、
自分の身を削って、『犠牲』になっちゃう。
↑
これをやってると、たいてい自分が苦しくなります。
尽くしてるから、尽きてきちゃうのだ。
でもね、でもね、
犠牲になっている人は、
犠牲になりたくて犠牲になっているの。
辛い自分を選択しているの。
それは、無価値感かるくる、
罪悪感だったり、するんだけど、
犠牲になる。ということで、
その罪悪感の免罪符を自分に与えようとたり、
犠牲になって人の役に立っていると
思い込むことで無価値感を補おうとしたりしているの。
なんてイタイケな私。
犠牲になっている私って、悲劇のヒロインみたくてス・テ・キ。
↑
と、ここまで思っているかどうかは抜きにして、
ぶっちゃけ、感心のベクトルが“自分”にあるのだ。
自分にベクトルが向いてるから、
相手が本当に求めていることより、
自分が相手にしたいと思うことを相手にしようとする。
…で、見返りをひそかに狙っている。
私、こんなにあなたに尽くしているのに★プンプン★
↑
…と思うなら、それは与えているのではなく、
見返りを求めて相手に尽くしているのだよ。
いや、
そこまで思ってなくても、
相手が自分の期待通りのリアクションがないと、
むなしくなるのも、同じ。
私って与え好きなの♪
というのも、ちょいとニオう。
与え好き♪という自分が好きなのであって、
本当に相手にとって良いことかどうかは二の次。
でもって、本当に与えているときは、
だいたい“与えている”という認識がほとんどない。
そもそも、与える→受け取る のではない。
与えた側には、無理がないので、
あら、なんか分からないけど、
私、何もしてないけど、
勝手に喜んで帰っちゃった程度だったり、
むしろ、こんなに受け取っていいのかしらん。
…と思うくらいのものなのだ。
なにせ、
受け取る人は、どんなものからでも受け取ることができる。
道に生えた雑草からでも、
ただ空が青く広がっているだけでも、
なにげない一言や、仕草でも。
で、そうやって、何でもないことから学び、
成長し、精一杯生きていれば、
自分の限界に、自分のすべてを賭けていく
トップアスリートのように、
もう、それだけで“与えて”いるのだと思うな。
Posted by ジュエリーセラピスト・マキ at 11:25│Comments(0)
│心理学あれこれ